ジョン・ル・カレ久しぶりの更新です。 ここんとこ、仕事で実用ビジネス系の本ばかり紹介していたので、プライベートではちょっと重めのフィクションにどっぷりハマっていました。重いフィクション。。。 ル・カレの『サラマンダーは炎のなかに』は、なかでもどっしりと重ーい空気を運んでくれる1冊。 題名は一見して、「火の精は炎のなか」なんて、ちょっとハーレクイン調な気がしますが、いやいや読んでみると、やっぱりル・カレは健在。心の底からアメリカ帝国主義を憎んで、ペンによって断罪しているのがよく判る。本当に嫌いなんだな。 内容は、二人のスパイ、マンディとサーシャの友情と戦いの話。ベルリンの壁崩壊以前の二人の出会いから、9.11以降のテロに対する取り組みがベースに描かれている。 微に入り細を穿つ筆致で綴られる前半に、少々食傷気味だったのに、後半にはいってからは、もう止まらない。ル・カレは、まるで山登りをしたときのような読後感を残す作家だ。登っている間は淡々と険しく。でも、頂上についたときの達成感と爽快感を届けてくれる。 アメリカ初の黒人大統領に湧く世界の中で、ル・カレはどんな作品を送り出そうとするのだろう?今後も目が離せない作家である。 あぁ素晴らしき、文化的アイロニー「皮肉」という言葉がある。この言葉、とかく良くない意味で使われるのが常だ。「あの人は皮肉屋さんね」とか「皮肉も気がつかないほどだ」とか。確かに皮肉ばかり言っている人は魅力に欠ける。まるで「俺様はこんなに頭がいいのだ」と言うかのように目の前でふんぞり返る人も確かにいる。 「悪口」と「皮肉」は完全に違うもので、皮肉にはインテリジェンスが必要である。そこには「通じる人には通じる」共有の笑いがあるのだ。そんな皮肉を多くの人と共有できる笑いに昇華させることができる人ほど、真のインテリゲンチャではないかと思う。 こんな風に、いつになく感じさせたのはいうまでもなく本である。たまたま、山椒のようにピリリと刺激を受ける本が手元に2冊。1冊目は、コメディーライターの須田秦成氏とコラムニストの中丸謙一朗氏による共著『できるビジネスマンのための大物講座』だ。 誰だって「あいつは小者だ」と思われるより、「大物だ!」と思われた方が良いと思うだろう。この本は、そんなあなたの気持ちにそっと寄り添う1冊である。人はどのような過程を経て大物に成っていくのだろうか。それをこの本が全編通して教えてくれる。「まずは格好から入れ!」と。。。 具体的なその「格好」の一部を目次から紹介すると 「大物は「ゆっくり」によってつくられる」 「正しい言葉遣いがメタボを防ぐ」 「阿久悠の歌詞は、大物のバイブルだ」 「大物の家のやかんはデカい」 などなど。。。大物を装うアイディアが満載だ。抱腹絶倒と言ってしまえば過言かも知れないが、その昔駄菓子屋さんでハマった「点取り占い」さながら、こみ上げるクスクスに包まれる心地よい時間を過ごすことができるだろう。
さて、2冊目の本は雑誌『食楽』で連載されていたなぎら健壱氏の『絶滅食堂で逢いましょう』。 「絶滅」と聞くと、なんだか良くない言葉のように思われるかも知れないが、本作を読めば判る。この「絶滅食堂」のネーミングには、実に多くの愛情が詰まっているのである。そもそも「絶滅食堂」とは「いまどきの流行の店でもなければ、カリスマシェフもいない、時代に逆行したマイノリティな店。それゆえ、町の人々に深く長く愛されているのも大きな事実。空気のようにほんわかと親しまれ、なくてはならない存在であること。」と、最初に定義されている。 そのような決まり事に乗っ取ってなぎら氏が選んだ25軒の「絶滅食堂」が紹介される1冊だ。もちろん、店の必要なデータや詳細が書かれているが、なぎら氏自らが撮影した、店に溢れるノスタルジックな空気感と共に味わい深い筆致ですすめられる本文は、読者を店に誘うためのガイドブックというよりはむしろ、なぎら健壱を知るガイドブックなのであろう。 そして、すべて読み終わった時に「さあ、あなたならどんな店を紹介し、どのような1冊を作りますか?」と、なぎら氏が語りかけてくるような素敵な本である。
一見、ガイドブックのようでいてその実、自伝のように雄弁な1冊。 一見、手引き書のようでいてその実、風刺の効いたコメディな1冊。 「此処ではない何処か」へ行ってみたくなった時にお薦めの2冊だ。 CBSドキュメントより深夜にTBSで送られる「CBSドキュメント」の番組が好きだ。 今までに購入したものの中では、グラミン銀行でノーベル平和賞を受賞された『ムハマド・ユヌス自伝』やサヴァン症候群で数字に関して天才的な能力を発揮するダニエル・タメットの『ぼくには数字が風景に見える』など、評伝ものが多いようだ。 そして今回私が購入し、貪るようにして読んだ1冊は、ボブ・ドローギン著の『カーブボール』。ここで云う「カーブボール」とは、所謂野球のカーブボールではなく、その特性を表す「クセダマ」などの意味からとられたコードネームを付けられたある男のことを指している。 9.11のテロを封切りとし、その後アメリカがイラク戦争へと突き進んで行ったことは、記憶に新しいだろう。しかも、国連による査察団やその他の情報で「イラクは大量破壊兵器を保持していない」とされたのにも関わらず、「保持している」と断じてアメリカが戦争に突入した経緯はなんだったのだろうか? と、思っていた人は少なくないだろう。かく言う私も、「どうせ石油が欲しいんでしょう? アメリカの国益の為じゃない?」なんて思っていた。 実際にはそんなに単純なことではなく、もっと複雑な思惑が絡み合ってこの戦争が始まったのだ。しかし、その責任の大きな一端を担っていたのが、この「カーブボール」と呼ばれた1人のペテン師だった。 「カーブボール」と呼ばれた男、イラク人のアルワンは、しきりにドイツへと政治亡命をしたがっていた。そして、嘘をついてまで世界を騙すことにしたのだ。その嘘に踊らされた人たち、その嘘を利用した人たち、国家。。。 それらがどのようにブレンドされて今日のイラクの現状があるのかを、この500ページ余りの本が飽きさせることなく教えてくれるだろう。「事実は小説より奇なり」というが、そんな言葉も納得の1冊である。 『夏への扉』所謂、四角四面な性格の人間である私は、自分が人生に於いての突発的な事件にとても脆く出来ているのではないか?と思い悩む傾向があるようだ。人生のパートナーとも思っていた猫が、死んだ。 偶然か、あまりのショックのせいかは知らないが、40度以上高熱を出し、あげく止まらぬ咳を伴った風邪を引いて今に至る。そんな風に過ごしていた矢先に友人から1冊の本を紹介され、コンコンと咳をしながら一気に読んだ本が『宇宙の戦士』で著名なSF作家、ロバート・A・ハインラインの『夏への扉』である。 内容を背表紙から転用すると 簡単にしてしまうと、ネタバレしてしまうが、ようは、発明家で猫のピートをこよなく愛す「ぼく」が、恋人とビジネスパートナーに裏切られ、ボロボロになるが、冷凍睡眠とタイムマシンを駆使し、ピートを助け出しつつも悪人退治をするというSFミステリー。多くの謎解きをしながら奔走する主人公に感情移入しているうちに一気の読んでしまうエンターテイメント大作である。 自分の猫が死んでしまったタイミングで読む本か?と言われれば悩ましいが、読み終わってしばらくたってから、ちょっと嬉しく不思議なことがあった。彼女が逝ってしまった事を題材に、私の連載する『本とも』のエッセイに書いた後の事である。私は彼女が死んでしまった事を受け入れるのも向き合うのも出来ず、締め切りを大分過ぎても、なかなか書けずにいた。そのくせ、どうしても彼女を題材に書きたかった。 編集長の優しい慮りもあって、やっと向き合い書き終えたその夜の事だ。この『夏への扉』さながら、タイムマシンを使って彼女を連れてくると云う夢を見た。夢の場面は私の家で、友人たちが「この子、あの子にそっくりだね」と言う。そして私はけろりと言うのだ。「うん。だって同じ子だもの」と。そして私はいつものように「撫でてあげる」の合図として椅子の縁を指先で3回叩き、満足そうに背中を丸める彼女の背中をするりと撫でるのだ。 幸せな夢だった。心の澱が取り除かれたような気分だった。かなり前に読んだ本でも、こんな風に夢に出てくる事がある。きっと、脳の何処かにインプットされたまま忘れ去られて、ふとした時に出てくるのだろう。 読み終わった時には「タイムマシンなんて夢のまた夢」と思っていたが、同じく夢のまた夢の、まるで手塚治虫のアトムのように大空を飛び回る「人間ジェット機」なるものがスイスか何処かのヨーロッパで発明されたという。ともすれば、「タイムマシン」も近い未来なのかも知れない。 『ラブストーリーを読む老人』新しいブログに引越しをして来て、一番最初に何を書こうか?とか、どんな本を紹介しよう?とか、思い悩んで早4ヶ月。 いっその事、書かないよりも前に進んでしまおうと思い立ち、今、一番ハマっている作家の本を紹介しようと思い立つ。 ルイス・セプルベダの『ラブストーリーを読む老人』である。 amazonから転用すると エクアドル東部のアマゾン上流、「牧歌的な村」エル・イディリオにも開発の波は押し寄せています。生活を脅かされた先住民や動物たちはさらに奥地へと移動 しています。そんなある日、外国人の惨殺死体が運ばれてきます。人間たちの横暴によって追いつめられた山猫(オセロット)が人間を攻撃してきたのです。動 物たちを知りつくしている老人も山猫討伐隊に加えられます。自分の身と生活環境を守るために人間を襲った山猫に、老人は引き金を引くことができるのでしょ うか…湿った森の豊潤な世界を舞台に、人間の野蛮さを静かに訴える珠玉の小品。 内容(「MARC」データベースより)
と、こんな感じだが、簡単すぎる程、簡単にひと言で紹介してしまうと 図らずも、山猫退治に参加しなくてはならない「マッチョな老人」の物語である。ただ、このマッチョなおじいさん、タイトル通りの「ラブストーリー好き」なのである。それも、メロドラマばりの悲恋もので、登場人物が愛し合っているがゆえにひどい苦しみを味わって、それでもハッピーエンドで終わるような、そういった作品が好みなのだ。 そういったギャップが、物語に私をぐいぐい惹きよせていくのである。読み進めていくうちに、何故、この老人がラブストーリーにハマるのかが紐解かれていく。幸せな愛の記憶の中で、思い残したことの憧憬とその後、歩んで来た彼の過酷で孤独な人生….…。ゆえに、この老人は自然の偉大さ厳しさを深く見つめているのだ。その彼が、山猫と対決する。 今回は、一老人の物語として読んだが、次回は是非、環境をテーマに読んでみるのも良いかも知れない。 |
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